楽天やりましたね。おめでとうございます。
巨人も流石ですけど、今年はこれが良い結末でした。
アンドリュージョーンズが加入して勢いがついたと思っています。
にしても、アンドリュージョーンズってみんな分かっているんでしょうか?!
どえらい選手です。下にwiki貼付けたので見てみて下さい。えらいこっちゃです。
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アンドリュー・ルドルフ・ジョーンズ(Andruw Rudolf Jones , 1977年4月23日 - )は、オランダ領アンティルのキュラソー島ウィレムスタッド出身のプロ野球選手(外野手、内野手)。右投げ右打ち。2013年から東北楽天ゴールデンイーグルスに所属。通称「AJ」。
原音ではアンドリューよりもアンドルーに近く、アンドルー・ジョーンズとも表記される。
MLBでは、1998年から2007年まで10年連続でゴールドグラブ賞を受賞する守備と、2005年から2年連続で「40本塁打・125打点」を記録したパワーを持ち合わせた、MLBを代表する外野手のひとりだった。
アトランタ・ブレーブス[編集]
1993年、アマチュア・フリーエージェントでアトランタ・ブレーブスに入団。
3年後の1996年8月15日の対フィラデルフィア・フィリーズ戦において、19歳でメジャーデビューを果たす。その年はわずか31試合の出場ながら5本塁打、13打点を記録した。この年のポストシーズンにも出場し、リーグ優勝決定戦第7戦ではポストシーズン史上最年少本塁打を、ワールドシリーズ第1戦第1打席で本塁打を放ち、ミッキー・マントルの同シリーズ史上最年少記録を更新。さらに第2打席でも本塁打を放ち、同シリーズ初打席から2打席連続本塁打(24年ぶり史上2人目)も記録した[1][2]。
1998年には中堅手へコンバートされ、リーグを代表する外野手に成長。自己最高の159試合に出場し、打率.271、31本塁打、90打点、27盗塁の成績を残し、史上最年少で「20本塁打・20盗塁」を達成[3]。9月13日にはMLB史上6番目・球団史上最年少でシーズン30本塁打を達成した[4]。また自身初のゴールドグラブ賞を受賞、以後同賞を10年連続で受賞することになる。
1999年には全162試合に出場。
2000年にはオールスターゲームに初めて選出される。この年の打率.303は自己最高、また36本塁打、21盗塁も記録し、ハンク・アーロンに次いで球団史上2人目となる3年連続「20本塁打・20盗塁」を達成した[5]。2001年2月20日、年俸調停において2001年の年俸820万ドルを勝ち取り、マリアノ・リベラの725万ドルを上回る史上最高額となり[3]、2001年シーズン終了後に6年総額7500万ドルで契約延長した[6]。
2005年には、打率・出塁率こそ平凡だったものの、51本塁打、128打点で二冠のタイトルを獲得。本塁打は、1953年のエディ・マシューズと1971年のアーロンが放った47本塁打を上回る球団新記録でもあった[7]。得点圏打率.207と勝負弱さが垣間見えたものの、この年のMVP投票ではアルバート・プホルスに次ぐ2位に入り、選手選出の最優秀選手となった[3]。
2006年は第1回WBCのオランダ代表として出場。これに合わせ調整を早く行い、本来はスロースターターであるが4月に8本塁打を記録した[8]。5月・6月は失速したが、41本塁打(リーグ5位)、129打点(同4位)を記録した。
2007年は6年契約の最終年のため5月にひじを痛めた後も出場を続け、痛みがひどくなった8月以降は鎮痛剤の注射をして出場し続け154試合に出場[9]。打率.222、26本塁打、94打点と、特に打率に関してはレギュラー定着以来、自己最低に落ち込んだ。チームも2年連続でポストシーズン進出を逃した。
ロサンゼルス・ドジャース[編集]
2008年は、ドジャース待望の大砲として期待され、ジョーンズ自身も復活を目指す年となるはずだった。しかし、開幕からかつてない不振に喘ぎ、挙句の果てに故障者リスト入り。後半戦は、守備のみでの試合出場が増え、メジャーデビューを果たした1996年、当時まだ19歳であった自身の成績をも下回り、1998年から10年連続で受賞していたゴールドグラブ賞も逃した。ドジャースは不振のジョーンズを放出することを決断、ジョーンズも出場機会が激減していたことから、2009年1月6日に残る年俸2210万ドルのうち、約1600万ドルを6年かけて支払ったうえでジョーンズが退団することで双方が合意[11]、1月15日にジョーンズはドジャースから解雇された[12]。
テキサス・レンジャーズ[編集]
2009年2月8日、テキサス・レンジャーズとマイナー契約(+出来高50万ドル)を結び、自身初のアメリカンリーグでプレイする事となった。レンジャーズでは、打率こそ2年連続で.220にも届かない状態であったが、前年とほぼ同数且つシーズン全体の約半分の出場試合数で17本塁打を放った。一方、守備面では10年連続でゴールドグラブ賞を獲得した経歴の持ち主であるが、指名打者としての出場が大半を占めており、外野守備に就いたのはわずか17試合であった。また、メジャーデビュー以来初めてとなる内野守備(ファースト)も経験した。
シカゴ・ホワイトソックス[編集]
2009年11月25日、シカゴ・ホワイトソックスと1年50万ドルで契約。
2010年は体重の管理をしっかり行うようになり、14.6打数に1本のペースで本塁打を記録し、3年ぶりにシーズン100試合以上に出場した[13]。打率.230、19本塁打、48打点はいずれも、2009年の数字を上回り、実に4シーズンぶりとなる.800以上のOPSをマークした。
ニューヨーク・ヤンキース[編集]
2011年1月20日、ニューヨーク・ヤンキースと1年200万ドルで契約。打率.247、出塁率.356、13本塁打、33打点と、かつてほどの成績ではないものの堅実な成績を収めた。
12月30日、1年契約推定160万ドルで合意。2012年もヤンキースでプレーする事が決まった。
2012年は前半戦は.244、11本塁打、OPS.862とまずまずの成績を残すも、後半戦は.142、3本塁打、OPS.511と大きく失速し、最終的には2008年以来の打率1割台を記録した。
東北楽天ゴールデンイーグルス[編集]
2012年12月16日、東北楽天ゴールデンイーグルスがジョーンズの入団で合意に達したことを発表[14]。2013年1月29日には、前年途中からヤンキースに所属していたケイシー・マギーと揃って入団会見に臨んだ。背番号は「25」。また、同年3月の第3回WBCには、オランダ代表のメンバーとして出場[15] [16]。ウラディミール・バレンティン(東京ヤクルト)などと共にクリーンアップの一角を担いながら、代表史上初のWBCベスト4進出に貢献した。
WBC準決勝から約10日後に始まったパシフィック・リーグ(パ・リーグ)の公式戦では、開幕当初から「4番・指名打者」で先発出場。4月5日の千葉ロッテ戦(クリネックススタジアム宮城)の8回裏に、伊藤義弘から来日初本塁打となる2点本塁打を放った。その後は、主に3番・銀次、5番・マギーと強力なクリーンアップを構成。チームを史上初の前半戦首位に導いた。また、マツダオールスターゲーム2013では、ファン投票・選手間投票ともパ・リーグの指名打者部門で選出。後半戦は、前半戦の勢いそのままに首位を走り続けるチームにあって、4番の座を守り続けた。9月26日の西武戦(西武ドーム)では、1対3と2点差を付けられていた7回表に、2死満塁で迎えた打席で右中間を破る3点タイムリー二塁打を放って勝ち越し。この一打によって、チームは史上初のリーグ優勝を決めた[17]。シーズン通算では、翌27日のロッテ戦に欠場しただけで、残りの143試合にすべて4番打者として出場。打撃面では、26本塁打・94打点という成績を残す一方で、リーグ最多の164三振を喫した。打率も.243にとどまったが、リーグ最多の105四球を選んだ影響で、出塁率は.391と高い水準に達した。ポストシーズンでは、千葉ロッテとのクライマックスシリーズ・ファイナルステージで2本塁打を放つなど、チーム初の日本シリーズ進出をアシスト。巨人との日本シリーズでは、第4戦(10月30日・東京ドーム)の1回表に先制の3点本塁打を放ったことで、同シリーズとワールドシリーズの両方で本塁打を記録した。この記録は、NPB一軍公式戦でのプレー経験がある外国人選手では4人目に当たる[18]。
選手としての特徴[編集]
打撃[編集]
30本前後の本塁打をコンスタントに記録するだけのパワーを備えている。2005年頃からパワーが増してきており、本塁打王を獲得した2005年から2年連続で40本塁打以上を記録した。その反面三振も多く、打率は平均以下のシーズンも多い。ジョーンズは自身を打率.270くらいの打者と位置づけ、打率よりも本塁打を打って打点を挙げるのが自分の役割であると考えているという[19]。2ストライクに追い込まれるととたんに打てなくなるが、初球には強く投手も警戒し、ボールが先行する[8]。また、選球眼も備わっており、四球を選ぶことも多く、楽天1年目の2013年は四球の数がパ・リーグ1位であった。しかし、チャンスにあまり強くはなく、2005年から3年間の得点圏打率は.237である。楽天一年目の2013年も.244とアメリカ時代とさほど変わりがなかった。
走塁[編集]
スイングが大きいため、一塁までの到達スピードは4.25秒と平均をやや上回る程度だが、一塁から三塁にまわる際や守備の際に本来のスピードを発揮していた[20]。二桁盗塁を記録していた時期もあるものの、近年では体重増加に伴って以前ほどの俊敏さは見られなくなり、併殺打も増加傾向にある。しかし、無警戒となった相手の隙をついて盗塁を仕掛けることがあり、楽天1年目の2013年は4盗塁を記録。
守備[編集]
外野手として10年連続でゴールドグラブ賞を獲得している。MLB時代は俊足であり守備範囲も広かったので、守備位置は浅めに守ることが多かったが、打球の落下点へ正確かつ素早く向かうことができるため、通常の外野手では到底取れないような打球も難なく処理し、[20]肩も強く、送球も正確と、外野手に必要な能力をすべて備えていた。1999年の刺殺数は493に及んだが、これは外野手の刺殺数としてはメジャーリーグ歴代11位の記録である(2006年時点)。
東北楽天へ入団した2013年には、パ・リーグが公式戦で指名打者制度を採用していることから、(同制度を採用しないセ・パ交流戦のセ・リーグ加盟球団主催試合を含めても)守備に就いた試合は17試合にとどまった(いずれも一塁手としての出場)。同年の日本シリーズでは、指名打者を採用しない巨人のホームゲーム(東京ドームでの第3~5戦)において、銀次を「3番・一塁手」として起用した関係で外野の守備に就いている[21]。
詳細情報[編集]
年度別打撃成績[編集]
年 度 | 球 団 | 試 合 | 打 席 | 打 数 | 得 点 | 安 打 | 二 塁 打 | 三 塁 打 | 本 塁 打 | 塁 打 | 打 点 | 盗 塁 | 盗 塁 死 | 犠 打 | 犠 飛 | 四 球 | 敬 遠 | 死 球 | 三 振 | 併 殺 打 | 打 率 | 出 塁 率 | 長 打 率 | O P S |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1996 | ATL | 31 | 113 | 106 | 11 | 23 | 7 | 1 | 5 | 47 | 13 | 3 | 0 | 0 | 0 | 7 | 0 | 0 | 29 | 1 | .217 | .265 | .443 | .708 |
1997 | 153 | 467 | 399 | 60 | 92 | 18 | 1 | 18 | 166 | 70 | 20 | 11 | 5 | 3 | 56 | 2 | 4 | 107 | 11 | .231 | .329 | .416 | .745 | |
1998 | 159 | 631 | 582 | 89 | 158 | 33 | 8 | 31 | 300 | 90 | 27 | 4 | 1 | 4 | 40 | 8 | 4 | 129 | 10 | .271 | .321 | .515 | .836 | |
1999 | 162 | 679 | 592 | 97 | 163 | 35 | 5 | 26 | 286 | 84 | 24 | 12 | 0 | 2 | 76 | 11 | 9 | 103 | 11 | .275 | .365 | .483 | .848 | |
2000 | 161 | 729 | 656 | 122 | 199 | 36 | 6 | 36 | 355 | 104 | 21 | 6 | 0 | 5 | 59 | 0 | 9 | 100 | 12 | .303 | .366 | .541 | .907 | |
2001 | 161 | 693 | 625 | 104 | 157 | 25 | 2 | 34 | 288 | 104 | 11 | 4 | 0 | 9 | 56 | 3 | 3 | 142 | 10 | .251 | .312 | .461 | .773 | |
2002 | 154 | 659 | 560 | 91 | 148 | 34 | 0 | 35 | 287 | 94 | 8 | 3 | 0 | 6 | 83 | 4 | 10 | 135 | 14 | .264 | .366 | .513 | .879 | |
2003 | 156 | 659 | 595 | 101 | 165 | 28 | 2 | 36 | 305 | 116 | 4 | 3 | 0 | 6 | 53 | 2 | 5 | 125 | 18 | .277 | .338 | .513 | .851 | |
2004 | 154 | 646 | 570 | 85 | 149 | 34 | 4 | 29 | 278 | 91 | 6 | 6 | 0 | 2 | 71 | 9 | 3 | 147 | 24 | .261 | .345 | .488 | .833 | |
2005 | 160 | 672 | 586 | 95 | 154 | 24 | 3 | 51 | 337 | 128 | 5 | 3 | 0 | 7 | 64 | 13 | 15 | 112 | 19 | .263 | .347 | .575 | .922 | |
2006 | 156 | 669 | 565 | 107 | 148 | 29 | 0 | 41 | 300 | 129 | 4 | 1 | 0 | 9 | 82 | 9 | 13 | 127 | 13 | .262 | .363 | .531 | .894 | |
2007 | 154 | 659 | 572 | 83 | 127 | 27 | 2 | 26 | 236 | 94 | 5 | 2 | 0 | 9 | 70 | 4 | 8 | 138 | 16 | .222 | .311 | .413 | .724 | |
2008 | LAD | 75 | 238 | 209 | 21 | 33 | 8 | 1 | 3 | 52 | 14 | 0 | 1 | 0 | 1 | 27 | 0 | 1 | 76 | 5 | .158 | .256 | .249 | .505 |
2009 | TEX | 82 | 331 | 281 | 43 | 60 | 18 | 0 | 17 | 129 | 43 | 5 | 1 | 0 | 3 | 45 | 3 | 2 | 72 | 7 | .214 | .323 | .459 | .782 |
2010 | CWS | 107 | 328 | 278 | 41 | 64 | 12 | 1 | 19 | 135 | 48 | 9 | 2 | 0 | 2 | 45 | 0 | 3 | 73 | 15 | .230 | .341 | .486 | .827 |
2011 | NYY | 77 | 222 | 190 | 27 | 47 | 8 | 0 | 13 | 94 | 33 | 0 | 0 | 0 | 0 | 29 | 0 | 3 | 62 | 3 | .247 | .356 | .495 | .851 |
2012 | 94 | 269 | 233 | 27 | 46 | 7 | 0 | 14 | 95 | 34 | 0 | 0 | 0 | 3 | 28 | 1 | 5 | 71 | 2 | .197 | .294 | .408 | .701 | |
2013 | 楽天 | 143 | 604 | 478 | 81 | 116 | 21 | 1 | 26 | 217 | 94 | 4 | 3 | 0 | 6 | 105 | 1 | 15 | 164 | 15 | .243 | .391 | .454 | .845 |
MLB:17年 | 2196 | 8664 | 7599 | 1204 | 1933 | 383 | 36 | 434 | 3690 | 1289 | 152 | 59 | 6 | 71 | 891 | 69 | 97 | 1748 | 192 | .254 | .337 | .486 | .823 | |
NPB:1年 | 143 | 604 | 478 | 81 | 116 | 21 | 1 | 26 | 217 | 94 | 4 | 3 | 0 | 6 | 105 | 1 | 15 | 164 | 15 | .243 | .391 | .454 | .845 |
- 2013年度シーズン終了時
- 各年度の太字はリーグ最高
獲得タイトル・表彰・記録[編集]
- 本塁打王 1回:2005年
- 打点王 1回:2005年
- シルバースラッガー賞 1回:2005年
- ハンク・アーロン賞 1回:2005年
- ゴールドグラブ賞 10回:1998年 - 2007年
- MLBオールスターゲーム選出 5回:2000年、2002年、2003年、2005年、2006年
- 2006 ワールド・ベースボール・クラシック・オランダ代表、2013 ワールド・ベースボール・クラシック・オランダ代表、
- 日米野球MLB選抜 1998年、2006年
記録[編集]
- NPB
- 初出場・初先発出場:2013年3月29日、対福岡ソフトバンクホークス1回戦(福岡 ヤフオク!ドーム)、4番・指名打者で先発出場
- 初打席:同上、2回表に攝津正から四球
- 初安打:同上、6回表に摂津正から中前二塁打
- 初打点:2013年3月31日、対福岡ソフトバンクホークス3回戦(福岡 ヤフオク!ドーム)、8回表に千賀滉大から左前適時二塁打
- 初本塁打:2013年4月5日、対千葉ロッテマリーンズ1回戦(日本製紙クリネックススタジアム宮城)、8回裏に伊藤義弘から左越2ラン
- 初盗塁:2013年5月6日、対オリックス・バファローズ7回戦(日本製紙クリネックススタジアム宮城)、3回裏に二盗(投手:ブランドン・ディクソン、捕手:伊藤光)
- MLB、NPBにまたがった記録
- 日米通算2000安打:2013年7月28日、対千葉ロッテマリーンズ13回戦(日本製紙クリネックススタジアム宮城)、8回裏にカルロス・ロサから中前安打
- NPBその他記録
- オールスター出場:1回(2013年)
- シーズン100四球:2013年10月1日、対日本ハムファイターズ24回戦(札幌ドーム)、6回表に乾真大から四球で記録 ※史上20人目
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